2009年12月 のアーカイブ

シベリア出兵は大正期のロシア革命に対する干渉戦争

2009年12月29日 火曜日

1917年(大正6)11月、ロシア十月革命が起こると、同年12月連合国最高軍事会議に革命政権への干渉計画が出され、翌年1月英仏は日米両国にシベリア出兵を要請してきた。

英仏の提案に対して日米は積極的反応を示さなかったが、この時期外務省では本野(もとの)一郎外相をはじめ若手官吏、在外公館にシベリア出兵の意見が強く、参謀本部でも上原勇作(うえはらゆうさく)総長、田中義一(ぎいち)次長を中心にシベリア出兵の計画が練られていた。

彼らの意図は、連合国の制約を受けることなく北満、シベリア地域を日本の支配圏に収めようとする自主出兵論であった。

ところがアメリカは日本に警戒的で、日本主導によるシベリアと中東(中国東北)鉄道の支配にあくまで反対であったため、日米対立を恐れた日本支配層の一部は自主出兵論に反対し、臨時外交調査委員会では原敬(はらたかし)や牧野伸顕(まきののぶあき)がアメリカとの協調出兵論を主張して、自主出兵論は実現できなかった。

会計事務所 インテリア ミラー